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----[鬼丸のコラム]----
このコラムは私の地元・長野県上田市の「信州民報」の「楽天余話」というコーナーに掲載されたコラムです。夕焼け創造研究所発行「月刊美楽」の連載も始まりました。お楽しみに!
NEW!!「初夢」
「月刊美楽1月号」より

 中学校ではダンス、武道を体育に取り入れた翌年、平成25年度から国語の授業に「落語」を採用。これにより今まで落語を見たことも聴いたこともなかった教師たちは当初混乱するものの、様々な角度から日本の伝統芸能である落語の素晴らしさ、笑い、人情、機知を現代の生徒たちに伝えていきます。

すると落語を知らなかった中学生たちも落語の面白さに徐々に目覚め、授業だけではない生の演芸に触れたくなり演芸場に殺到。落語で育った祖父母の世代は、久しぶりに孫からかかってきたと思った電話が「オレオレ」だった頃と変わり、孫と一緒に落語を楽しんだり、落語について語り合うことができるようになりました。「おじいちゃん、この前正蔵が面白かったよ」「ああ、三平のせがれの正蔵かぁ、おじいちゃんの頃は先代の正蔵がいてなぁ・・」「あの声が震える人?」「よく知ってるなぁ、どこで知った?」「木久扇がよく物まねしてるもん」「そーかそーかぁ」

また落語を生で聴くことが集中力、読解力を鍛え、学校の成績が上がることに気がついた親たちは塾通いから寄席通いを子供たちに奨励。しかし一部の「面白い落語家よりつまらない落語家の落語を聴いたほうが集中力、読解力を必要として力が付く」とか「前座の落語こそ忍耐力が養われる」といった間違った情報のため落語嫌いな子供が出来てしまったのは誠に残念です。

それでも教わればやってみたくなるのが人情、また全国的な落語ブームで高額所得の落語家が続出した影響もあり、5年後平成30年度の将来なりたい職業では公務員、サッカー選手などを制して落語家が見事一位に。

また国家的に見るとあれほど多かった自殺者が「死んで花実が咲くもんか、生きてりゃ明日は明日の風が吹く」と落語の持つ哲学に共感し自殺率が低下。「お天道様が見てらぁ」と道徳心が向上。「宵越しの銭は持たねぇ」で経済は活性化・・・。

新年なんで景気の良い夢を語ってみました。

「秋なので目黒のさんまについて」
「月刊美楽11月号」より

「さんまは目黒に限る」とは落語の「目黒のさんま」で有名な落ちの一言です。鷹狩りで目黒を訪れた殿様が、家来が弁当を忘れたために下魚であるさんまを食べます。焼きたてで油の乗った旬のさんまを空腹時に食べたのですから美味しいのなんの。屋敷に帰ってきてからもさんまのことが忘れられないお殿様が、食事会の献立にさんまを希望したため食事番は新鮮なさんまを仕入れるも、殿の体を考え油を抜いたり小骨も抜いたり、ぱさぱさのさんまをお殿様に食べさせてしまいます。「このさんま何れより買い求めた?」「魚河岸で買いました本場房州のさんまにございます」「房州?それはいかん、さんまは目黒に限る」となるわけです。

 この噺の面白さはお殿様の世間知らずぶりです。生まれながらのお殿様はいつも食べてる魚は鯛ばかりでさんまという魚があることすら知らない。目黒という場所は海から遠くさんまが獲れるわけがないのにたった一度の体験で目黒はさんまが美味しいところと思い込む単純さ。

 天下泰平の世にはこのようなお殿様を笑える余裕がありますが現代はどうでしょうか。先日の自民党の代表選を見ていると二世議員という現代のお殿様達。さぞかしご苦労なくお育ちになられたのでしょう。品のよさが高級カツカレーを食べる姿からにじみ出てました。某政経塾出に多い政治家に成りたくて仕方が無く成れば成ったで権力志向が異常に強い、与党になった途端に料亭通いなんぞとは一線を画してました。まあどちらも庶民がさんまを食べようが、牛丼を食べようが気にもならない所は共通してそうですが。

 

 ちなみにうちの師匠は官房機密費ではなく自腹で向島の料亭によく行ってますが、あるときその店の料理に飽きた師匠に宅配ピザを食べさせたら師匠が大喜び。師匠は麹町の自宅で向島のピザが美味しかったことを話すので調べてみると大手チェーン店。さっそくPザーラ四谷店からそのとき食べたシーフードピザを自宅に取り寄せて食べた師匠が一言「向島店のが美味かった」これは実話です。

「落語ワークショップ」
「月刊美楽10月号」より

先日落語ワークショップを行なってきました。下は小学2年から上は高校2年の10人を相手に、10日間で落語をできるようにしようという企画でした。

 まず一日目は私が落語をやります。この日初めて生で落語を見た子が7人いました。それでもゲラゲラ笑いながら反応は上々です。短めの話を10席演りました。

 二日目は自分が取り組む噺を決めます。前日私が演じた噺から選ぶかと思いきや、子供向けの落語の本が多数出版されてるらしく、各自思い思いの噺をチョイス。私が演らない噺もあるものの、それぞれの噺を演じる際のポイントをアドバイス。親御さんに私の落語をビデオで撮影してもらい、それで覚えてもらうことに。そして共通のアドバイスは「わからない、知らない言葉は話さない」「なぜその行動を登場人物はとってるかをよく考える」です。プロでもやってない人が結構いますけどね。

 中五日空けて三日目。覚えてきた落語をみんなの前で演ってもらいます。覚えてこれなかった子は一人だけ。「相手を見て話す」「大きな声で」など注意していきます。それにしても想像はしてましたが、興味があることに対する子供の集中力、暗記力は凄いです。

 翌日四日目、前日のアドバイスをもとにもう一度発表してもらうとたった一日で見違えるようにみんな落語らしくしゃべれるように。聴いてるほうの子供から笑い声があがります。思わずこちらも「もっと感情を込めて」「表情を意識して」「そこは間を取りながら」なんてかなり高度な要求をしてしまいます。そのアドバイスを次々身につけていくのを見てると教えてるこちらも楽しくなってきます。自分で考えたギャグを入れて演じる子まで出てきたのは嬉しい誤算でした。

 最終日五日目はいよいよ発表会。発表会前のアドバイスは「楽しんで落語を演じる」です。30人ほどの観客(保護者)の前で堂々と落語を演じる子供たち。トリは練習で一番完成度が高かった小学2年の女の子が「大安売り」という相撲取りが出てくる噺を愛嬌たっぷり楽しげに演ってくれました。全員大成功!!

 落語に子供たちが興味を持ってくれて、見るだけでなく演じることでより落語の面白さに触れてもらうという今回の企画。私も子供たちに教えながら、前座の頃の落語を覚えるのが楽しくてしょうがなかった時期を思い出せたのはこの夏の収穫でした。

「襲名する理由」
「月刊美楽8月号」より

 桂三枝師匠がこの度「桂文枝」を襲名することになりました。先日その襲名パーティーに出席させて頂きましたが、さすが当代きっての人気者、落語界一のスターらしい華やかなパーティーでした。ただ世間にはなぜ三枝師匠が文枝を継ぐのかよくわかってない方が多いようなので、私が三枝師匠に成り代わって説明したいと思います。成り代わってしまっていいのかはさておいて。

 まず襲名について説明すると、みんなが知ってる有名な名前を大きな名前、名跡などと言います。その名跡に名前を変えることが襲名です。但しパターンは色々あります。まず若手や中堅落語家が襲名をする場合、今までその落語家を知らなかったお客が襲名をきっかけに興味を持ち応援してくれる。つまり実力はあるけど知名度がない芸人が一世一代の勝負をするときです。そしてもう一つは人気者が自分の師匠の名前を継ぐということで今回の文枝襲名はこちらのパターンに当てはまります。他に血縁関係で継ぐパターンも加えておきましょう。

 さて人気者が師匠の名前を継ぐ場合に問題なのは、自分の名前のほうが世間に知られていて、師匠の名前は由緒があるけど知られてないことが多いことです。例を出すと「山のアナアナの三遊亭歌奴」から三代目三遊亭圓歌へ、「ヨイショの月の家円鏡」から八代目橘家円蔵へなどです。未だに前の名前でお客は覚えてることが多いです。残念ながら。

 さあここからが本題です。ではなぜ落語家は師匠の名前を継ぎたがるのか?そのままの名前じゃだめなのか?ということです。そのままの名前の方がいいんですよ、自分のことしか考えないなら。今まで自分が大きくした名前で好き勝手に落語をやり、師匠の名前が埋もれても気にしないのならば。でも本物の芸人は違います。師匠の名前を継ぎ自分がその名前を大きくして次世代に繋いでいこうとしてるんです。自分を育ててくれた師匠に対して弟子ができる唯一の恩返しが名前を大きくすることですから。

 実際に今回三枝師匠が六代文枝になることで、自分の師匠である先代文枝の功績が世間で見直され、文枝の名の偉大さがクローズアップされ、上方落語界が大いに宣伝され活性化されたのです。三枝改め六代文枝師匠が莫大なお金と労力をかけて落語界のため、他の落語家のために襲名したのはそういった理由・・・・なんじゃないかと成り代わって考えてみました。
ウソ?ホント?
「月刊美楽7月号」より

 皆さんこんなニュースは知りませんか?「銀閣寺の銀箔塗布作業始まる 今冬にも完成」「和式便器生産終了 318年の歴史に幕」えっ!知らない!?そうでしょうね。このニュースは「虚構新聞」というウソの記事が書いてあるWEBサイトのものです。

 この虚構新聞の記事がツイッターに載せられ、見出しだけを見てリツイートや批判記事をかいたおっちょこちょいが(ウソに引っかかった人)が虚構新聞を批判するという世も末的な出来事が起こりました。ツイッターには虚構と書いてないのですが、ちょっと違和感を感じてワンクリックして記事まで読めばこれが洒落や冗談だとわかるはずなんです。私はこの虚構新聞が大好きでいつも楽しみにしてます。意外と毒のある(猛毒の場合も)表現で現代のニュースをパロディ化していきます。一度見ていただくと判りますが、とてもウィットに富んで知的で悪意があって人を傷つけない高級な笑いだと私は思います。虚構ですから「ウソ」を批判するのは筋違いですし、たとえつまなかったとしてもつまらないことを批判するのもおかしな話です。有料サイトならまだしも無料の主宰がかってに書いてる記事ですから。

 本来なら洒落や冗談がわからない野暮な恥ずかしい行為を「わかるように書いてないのはそっちが悪い」と逆に怒ったり、自分だけがつまらなかったことを皆の代表のように大っぴらに批判する人が増えた気がします。しかもネット上の無責任な状態で。もっと言わせてもらうと、手の届く範囲の人や組織への怒りが過剰すぎませんか。どうせ怒るのならもっと大きく悪辣なウソで大勢を欺いてる人や組織に怒りをぶつけて欲しいものです。デモは嫌だけどリンチは好きみたいな人が増えてるんでしょうか。

 ところで今入ってきた本物のニュースが「福岡市 相次ぐ不祥事に一ヶ月間職員に禁酒令」だって。本物のニュースですよ。虚構と現実の差が無くなりすぎて虚構新聞で勘違いする人はまだまだ増えそうです。

「噺家とお酒の関係」
「月刊美楽6月号」より

 落語にお酒の噺が多かったり、芸人は酒を浴びるように呑むイメージのせいかお客さんに「噺家さんだから呑むでしょう」と言われることが数多くありますが、これは半分は当たってます。半分というのはお酒を呑まない(呑めない)噺家も意外といるんです。そしてお酒を呑まない噺家のほうがお酒の噺に出てくる酔っ払いをうまく演じるなんてことを云われております。あまり呑まないほうが酔っ払いを普段から観察していて芸に生きるんだとか。

 ちなみに私は世間のイメージ通り噺家らしい酒呑みでございます。観察するより観察されてるんでしょう。酔っ払いをうまく演じてないんでしょう。いいじゃないの。そういうことを考えないで呑むから楽しいんじゃない。

 だいたい噺家がお酒を呑めるようになるプロセスというかカリキュラムは出来上がってるんです。まず前座修行というストレスの塊のような日々のなかでお酒はそのストレスを瞬間でも忘れさせてくれる存在です。そして前座修行を終え二つ目に昇進すると時間ばかりがあって仕事やお金がない不安な毎日を紛らわすためには酒が必要なんです。ちなみに不安度、貧困度と飲酒量は比例するというデータが落語協会から発表されてます(ウソ)。そして運よくその不安から逃れられるぐらい仕事が増えてくると、仕事がらみでお酒を呑む機会が増えます。但し仕事がらみのお酒というのは今までのストレス解消や発散できる酒ではないので「酒を呑むストレスを解消するために呑むお酒」というのが必要になってくるのです。自分で書いてて酒呑みの意地汚さがこんなに出てる文章はないんじゃないかと呆れてます。

 でもお酒に助けられることが今までどれだけあったことでしょう。高座後の興奮を冷まし、熱く芸論を語り、仲間と不安、希望を共有し、ウケなかったダメージを癒してもらい。

人気落語家が言った言葉があります。

「お酒が呑めない人は大変だよね、一生シラフなんだよ」

 
「読書を勧めるのは難しい」
「月刊美楽5月号」より

来月に小学2年生になる娘の小学校で「読書の大切さ」について全校生徒の前で話して欲しいという依頼を、校長先生直々に頼まれてしまいました。娘の小学校は普通の公立ですが大変読書に力を入れており、毎週月曜日には授業前の15分に読み聞かせボランティアによる本の読み聞かせを1年から4年生までに行なってます。そしてそのボランティアに私の妻が私に無断で申し込んだため、昨年度一年間、私は子供相手に読み聞かせていました。どうやら校長先生には私が子供の教育に熱心で、特に読書には力を入れてると思われたようです。

何を話せば良いのか。相手は一年生から六年生までいるのです。

「皆さんがワクワクドキドキできるのが読書ですよ」漫画やゲームでも、いやむしろそっちのほうがワクワクドキドキするでしょう。

「知らないことも読書をすると色々知ることができるよ」ネットでいくらでも調べられる時代です。

「私は子供の頃から本が好きで、小学4年のときに落語の本を読んだのが今落語家になってるきっかけです」落語家になりたくないでしょうし、私に憧れもないでしょう。

大体のところ私自身が、最近は移動中には新聞、雑誌が多く、漫画やゲームにも時間を使い、たまに小説を読もうとしながら映画化されてるのに気付くとDVDで済ませてるのです。こんな私が「読書の大切さ」話す資格があるのでしょうか。

もっとも子供たちも本が好きな子は誰かが何か言わなくても読書の楽しさに気付いてるんでしょうし、本が嫌いな子も面白い本に出会って突然読書に目覚めるかもしれません。私が何か言うべきことではないという結論になりそうですが、それでも来月には何かを話さなければいけません。

「皆さんの世代が本を読まないと、出版社や書店で働く人や作家が路頭に迷うんですよ」真実ですが子供に言うことではないようです。

「話芸、話術」
「月刊美楽4月号」より

先日、私の師匠である三遊亭圓歌と私、それに弟弟子で師匠の末弟の歌扇君3人で呑んでおりました。当然師匠がする話を私と歌扇君の二人でうなずき、驚き、感心をしてヨイショするという流れで進んでいき、我々ごときが師匠と会話のキャッチボールを楽しむことはありません。場所はごくごく普通の焼き鳥屋さんで段々騒がしくなってきました。

私は1時間半ほど経ったところで席を立ち、お手洗いに向かいました。師匠がそろそろ帰りそうなので私も身支度を整えに入ったのです。ところが席に戻ると帰るどころか隣のお客と師匠が話してます。そのお客は我々3人より早く呑み始めていた50代くらいのご婦人2人組で、ちょっと小綺麗な身なりで生活感を感じさせない雰囲気を持っていました。師匠の女好きがこんな所でまた・・と思いながら席に戻るとどうも様子が変です。

 「どこの社長さんなの?随分高そうな服着て若いもの引き連れて・・」どうやらご婦人の一人が師匠だと気がついてないようです。歌扇君に状況を聞くともう一人は気付いてるんですが師匠の隣のほうが気付いてないとの事。「おい、教えてやれよ!」「は、はい、こちらの在らせられるお方は・・」「水戸黄門じゃねえよ!」「社長ではなく師匠、昔は山のアナアナの歌奴、今は落語協会最高顧問の三遊亭圓歌なんです」

 とたんに師匠の肩に掛けていた手を自分の膝の上に戻し詫びるご婦人。するとやさしく微笑みながら師匠が「あんたらも呑みたくなる時があるんだよな、人の世話ばかりしてると」「えっ?わかるんですか?」「わかるよ、親の介護だろ?」「な、なんでわかるんですか!?師匠!」わかりますよ、師匠だけでなく私も。だってさっきまであなたたち大声でしゃべってたから。

「結婚してないみたいだな?」「はい、そんなことまで・・」指輪見ればわかりますよ!

「でも師匠介護って大変な・・」「お前を生んでくれた親だろ!!」「はっはい・・」「いいかい、この手は人を幸せにするためにある手なんだよ、俺の言いたいことわかるよな?」「はい・・師匠のおかげで目が覚めました」

 涙にくれるご婦人2人を諭す姿を見ながら詐欺や洗脳ってこうやって行なうんだなと思いました。
「料理と落語」
「月刊美楽2月号」より
先日とあるホテルの総料理長をなさってる方とお会いする機会がありました。その方の指揮したフランス料理での会食だと話も一段とはずみます。そしてシェフのお話を聞いていると非常に我々の世界と共通点がありました。
 まず個人の好みに合わせること。数値化されてるわけではなく美味しい、面白いと感じるのは非常に個人差があるものです。またこれで良いと言う指標がなく、どんどん基準が前よりあがっていくとか好みにも流行があることを感じ取らなければいけません。料理も笑いもお客さんの目や舌はどんどん肥えていくのです。
徒弟制や新作・古典についても盛り上がりました。料理の場合弟子入りと言うよりはめぐり合わせも大事だそうですが、とにかく基礎は教わりながら覚えるのも共通点です。ただしそこから先は師匠が作っているものを作り続ける場合と師匠とは別の方向性に行く場合もあるそうです。具体的には伝統的な手法の料理と新しい手法を取り入れた料理だそうです。あれ?まさに落語界と一緒。「逆らってもいいんですか?」「逆らうと言うより料理人にとって一番大事なのはセンス。そのセンスを活かせるならばやるべきなんです。」「伝統的な手法での料理はセンスがいらない?」「いえ、そうではなくてやってはいけないことが多くて窮屈に感じるならクラシカルはそれが好きな人に任せればいいのでは」形に拘らず自分がいいと思うもので勝負する世界なんです。
コンクールについても聞きました。料理の世界は有名ですが、落語の世界も若手だとコンクールを受ける機会が結構あります。ただコンクールで評価されるのって嫌なのかなあ、ホテルやシェフの社会的評価を上げるために受けさせられるのかなぁ等と思っていたら、その方は食材を勉強するのにいい機会だとおっしゃってました。今まで余り馴染みのない食材が出た時に自分の引き出しが増えていくんだそうです。ちなみに私は社会的地位、売れるためだけにコンクールを受けてましたが、言われてみると落語のコンクールも普段考えない時間の使い方や自分の個性のアピール、弱点を見つめ直し、引き出しを増やすのに格好の場所だったのです。自分自身を高めるためにコンクールを受けていくとああなって、野心、ヤマっ気だけでコンクールを受けてたらこうなるのか。この話だけはもう10年早く聞きたかったと思った晩餐でした。
「寄席の初席」
2012年 「月刊美楽1月号」より

 お正月に行なわれる寄席の公演を「初席」と呼びます。

 よく「お正月だけは毎年寄席に行く」というお客様にお会いします。通常営業とは違い出られる芸人は全て出演することができ顔見世興行になってますのでとても楽しいお祭り的な雰囲気はあまり普段寄席に行かない方にはちょうどいいのかもしれません。

我々芸人も初席は何かワクワクして寄席に集まります。普段は家から私服で行き寄席に着いてから着物に着替えますが、初席はその年のための新しい着物を家から着て外套に身を包み移動します。電車の中で若干の注目を浴びながら移動するときは噺家冥利に尽きます。そして寄席に着くと他の芸人と新年の挨拶と共に手拭いの交換をします。大体手拭いが欲しい先輩芸人に後輩芸人の方から寄って行きます。ですから売れっ子芸人は手拭いを毎日100本近く持参して来なければなりません。

我が落語協会は170人を超える真打ちが所属するため、全員が毎日出ることはできません。年に一度の初席の扱われ方によって今の自分のポジションを的確に把握することができます。また普段一人持ち時間が15分のところが、初席では大体7〜8分になります。、きちんと時間内にウケて降りて来る寄席に慣れてる芸人の他に、たまに出た寄席や大勢のお客さんにテンションが上がり時間をオーバーしてしまう芸人もチラホラ出てしまいます。そんな芸人さんを前座さんは「誰っすか?」と先輩に聞いてますがこの初席でしか見ない方なので知らないのも無理はありません。

何はともあれ初席はお正月らしさに溢れた温かい空間です。芸人は挨拶回りで少しお酒が入ったまま高座に上がることがありますが、見に来てる方も酔っ払ってるので目くじらをたてる野暮はいません。誰だか名前を覚える隙がないほど大勢の芸人が出てくるのを適度に楽しみ2時間ほど見て帰るのが初席らしい楽しみ方です。行った事のないお客様は是非一度体験してみてはいかがでしょうか?

「やさしい言葉」
「月刊美楽12月号」より

 ラジオ番組が始まって半年が経ち、今までの落語の高座の時には意識をしなかった「不適切な表現」をかなり意識できるようになりました。差別的表現はいうに及ばず、放送というのは生の高座と違いケタ違いに大勢が聴いていて、途中から聴いた人が前後関係を無視して言葉尻だけを切り取って解釈し抗議したり、表情が見えないためこちらの意図しない方向の悪意に取られたりすることもあります。

 言い分は色々あったとしても不愉快に思う人が出てきて、ましてや抗議の電話やメール等が局に来ると私の立場はあまりよろしくなくなるので、できるだけひとが不愉快にならない表現というのを考えるようになります。

 例えば話の中で俗に言う「ホームレス」が出てきた場合にそのまま言うよりもちょっとやさしく「ホームをレスした人」もしくは「住所がフリーダムな人」と言うとあの方達の自由さがより表現できます。「デブ」はなんか言葉として失礼ですから「ふくよかすぎる人」がいいと思います。「カロリーを備蓄してる人」なんていうとむしろ計画的に太ってるんじゃないかという錯覚さえ起こさせます。「ケチ」というのも何やら角の立った物言いですので「自分のお金を大切にする人」と言ってあげましょう。

 攻撃的な言葉を口にしているとその相手や周囲を不快にするだけでなく思わぬところで敵を作ってしまいます。今回のやさしい言い換えは相手をよく理解しないとなかなかいいフレーズは出てきませんので皆さんも訓練してみてください。「バカ」は「知識をあまり溜め込まない人」「状況判断より自分の感性を優先するタイプ」などなど。「ブス」じゃないんです。「見た目で勝負しない人」なんです。「見た目以外で勝負する人」とも言えます。私のことを「ハゲ」って言う人がいますが違うんです。「頭皮が毛深くない人」ですから。

 

「年末の風物詩」
「月刊美楽11月号」より

 毎年のことですけど年の瀬になると「忠臣蔵」と「ベートーベンの第九」の季節です。何でしょうか、あの存在感は。11月にこれらを見たり聞いたりしたら勢いでカレンダーを1枚破ってしまいそうなぐらい日本人の遺伝子に刷り込まれています。「忠臣蔵」は敵討ちの日が12月14日だから、「第九」はオーケストラの人達が収入の少ない昔に年末年始に困らぬように大勢が出て確実にギャラを稼げる公演として行なわれたのがきっかけだそうです。でも昔はそんな理由で始まった第九も今では日本全国で年末は大変多くの公演があるはずですから、オーケストラの皆さんもアメ横ぐらいに年末に賭ける意気込みと忙しさがありそうです。

 さてそんな年末の風物詩が落語界にもあります。それは「芝浜」と「文七元結」という二席です。

 芝浜はクライマックスのおかみさんの真相告白のシーンが大晦日、文七元結も借金や集金が関わる年の瀬を舞台にしているためほとんど年末に演じられるネタです。大勢の落語家がいっぺんに出てきたり、確実にギャラを稼げるというわけではありません。

この二席の共通点は人情噺であること、長い噺つまり長講であること、ダメな主人公がハッピーエンドであること等があげられます。

 見に来たお客様が「今年は色々嫌なことがあった一年だったけど、ゆっくり落語を聴きに来られただけでも幸せだなあ。こういう人情がある素晴らしい国なんだよ日本は。なんかいい噺聴いて心が洗われた気がするなあ。」という感想になって貰えるはずです。いい演者だったら。

 というのがこの二席は非常に演じるのが難しく歴代の名人達さえ苦労に苦労を重ねた大作なのです。下手な演者にあたるとそれはそれは大変なことになります。何しろ長いんですから。ストーリーが段々頭に入ってこなくなりそのうち違うことを考えるかもしれません。「こんな噺家初めて見たけど不幸そうな奴だねえ、着物は汚いし、顔色は悪いし、前歯抜けてても直せないし。イライラすることあったけどコイツのつまらない落語聴いてたらもっとイライラして何に怒ってたか忘れちゃったよ。おいおい、人情噺はいいけど自分で泣いちゃったよ・・客は誰も泣いてないのに・・。俺はコイツと比べたらまだまだ幸せだよなあ。」

 下手な人情噺でも最後まで見てあげる、それも人情ですよお客さん! 
「落語で笑える日常」
「月刊美楽10月号」より

 我々の落語の高座はほとんど生の高座ですので、お客様の反応がダイレクトに伝わってきます。古典落語でありながら聴いてるお客は現代の人間であるため、古典落語の中の何気ない表現が現代で起きている事件や出来事を思い出させてしまいお客様が急に覚めてしまうということがあります。

 例えば、夏の風物詩ともいえる噺「船徳」は船宿で居候している船を操ったことのない若旦那が船頭になりお客を怖がらせるという滑稽噺ですが、天竜川での転覆事故があった日から誰も演じなくなりました。これから秋に「野ざらし」という噺が多く演じられるはずでしたが、この噺は釣りをしに行き野ざらしになったしゃれこうべを見つけるという噺ですから震災を思い出すお客様はいるでしょう。「後生鰻」という噺は信心深い旦那が毎日鰻を買い取って川に逃がしてやるのに付け込んだ鰻屋が、鰻を仕入れなかった日に旦那が通りかかったのを見て自分の赤ん坊をまな板に乗せ旦那に買い取らせます。旦那が赤ん坊を川に逃がして・・・。幼児虐待のニュースが連日流れる昨今に演じるには難しい噺です。

 戦時中の昭和16年に時局柄ふさわしくない落語を当時の落語家達が「禁演落語」として自粛したことがあったそうです。間男や夜這い、妾や吉原の遊郭が出てくる噺など53演目だそうです。そして芸人は変わり身が早いのですぐに軍国主義推進の戦意高揚の落語をやったそうですが、それは22年にGHQに咎められ今度はそっちを禁演にしたのだとか。お上に弱く場当たり的なのは昔も今もあまり変わらないようです。

 落語はちょっとありそうだけどやっぱりないよね、でもこんな事あったら面白いしこんな人いたら面白いよねというのがベースにあります。人情や道徳や平和が当たり前にある社会だから日常にはない異常な欲や狂気やいざこざをみんなで笑えるのです。

 高座に上がるときに何をやろうか考えながら、「あれはダメ、これもダメ」となってるとき、落語の中の異常が笑いになる正常な社会であって欲しいとネタ数の少ない芸人は思うのです。

「19歳の感じ方」
「月刊美楽9月号」より
 夏の浮かれムードを尻目に浮かれられない19歳がこの世に今年も8万人ほどいるそうです。それは「浪人生」です。私も大学受験の際に一年浪人をしましたが、遊んでいても後ろめたく、勉強をしていても到着点が見えないモヤモヤした一年は忘れることができません。高校卒業後に地元の長野県ではなく父の単身赴任先の埼玉県で浪人生活をスタートしたのには訳があり、「地元だと高校時代の悪友と今までどおりの毎日を過ごし勉学に打ち込めないだろう」という親心からでした。しかしそんな親心とは裏腹に持ち前の社交的な性格から次々とできる新しい友人たちと浪人生活をエンジョイしだすのですが・・・。
 当時の友人とは今も付き合いがあります。きっと同じ辛さ、同じ目標に向かって時間を共有した仲間とは高校時代とはまた違った戦友のような団結が生まれたのかもしれません。学校で受けていたものとは似て非なる授業も刺激的でした。受験テクニックだけではなく生き方に影響を与える言葉が授業の随所にでてきました。また生徒がたくさん集まるスター講師の話術は一流の漫談のように引き込まれていき成績が上がる催眠術にかかっているようでした。これは受験後に催眠術だったことに気がつきましたが。そして定期的に行なわれる講演会のゲストの聞き役で出てきた落語家、当時二つ目の春風亭昇太さん。当時19歳だった私が初めてみた生きてることが楽しそうな魅力的な大人でした。
 人生に無駄はないですし無駄にしないことが人生を楽しむうえで大切ですが、この一年の出会いや刺激は19歳という多感な時期にとても影響をうけました。20年経って39歳になった今、出会いや刺激に鈍感になってないか、もし鈍感になっていたら人生を楽しめていないでしょうし毎日が無駄になってしまうのでしょう。若さというのは年齢ではなく感じ方なんだとこれを書きながら思いました。

「備蓄」
「月刊美楽8月号」より

6月中旬のニュースにこんな記事がありました。

東日本大震災をめぐり、南海地震で大きな被害が想定される高知県が、県の備蓄食糧を全て被災地に提供していたことが分かった。高知県内では「被災地のためとはいえ、少しやり過ぎではないか」との声も上がっている。被災地には飲料水約1万4000リットルと食料約1万4000食を全て送った。担当者は「備蓄を他県に提供する際の運用を詳しく考えていなかった」と話した。品不足などで補充のめどは立っておらず、南海地震対策の見直し会議では「現状は丸腰に近い状態だ」と心配する意見も出ている。

これを読んだ私は「さすが土佐っ子、いごっそう」と思いました。強きをくじき弱きを助ける、大胆不敵で豪快ないごっそうは半分だけ送るなんて半端は許さんきに!といったところでしょうか。備蓄とは万が一に備えて蓄えるものです。今回の地震はその万が一なのですから困ってる人が使ってこそ備蓄の意味があります。

 落語にこんな小噺があります。

「おい、おっかあ、隣の八公んちが米が買えねえって夫婦で芋食ってるから米持ってってやんな!」

「お前さん、持ってったら泣いて喜んでたよ」

「そうか、じゃあ家も飯にするか、おいおまんまどうした?」

「ないよ」

「なんで?」

「うちだってそんなある訳じゃないよ、持ってったらうちのお米ないよ」

「・・・じゃあ芋でも食うか」

今回の件は江戸っ子ではなく土佐っ子が見事に日本人の心意気を見せてくれた一件ではないでしょうか。どうか担当者を責めないでください。むしろ賞賛してください。南海地震が万が一来たらどうするか?大丈夫です。必ず他の県から備蓄を送れます。いや送ります。なぜなら困ってる人を助けるというDNAは江戸っ子、土佐っ子だけではなく日本人全員に備わり蓄えた遺伝子だからです。

「夏をポジティブに想像してみる」
「月刊美楽7月号」より

 今年はどうやら猛暑だそうで、しかも節電はしなくてはいけないわけで・・・。となるとせめて服装や生活習慣で涼しくしましょうという動きがますます拍車がかかるのは必至です。そんな今年の夏に注目を集める存在になりそうなのが「落語家」です。まず服装は夏らしい浴衣に雪駄履き。肌じゅばんやステテコが汗を吸い取り爽やかに過ごす事ができます。持ってるアイテムが扇子と手拭い。扇子で涼しげな風を楽しみ、手拭いで汗を拭くというゴミを出さずに電力にも頼らないエコロジーライフ。高座を勤めるときも100人ぐらいまでならマイクも使わず、舞台の照明が暗くても自分に華がないせいにして我慢をし、暑い場所でも文句を言わず汗だくになりながらしゃべり、涼しくなりたいお客さんには怪談噺でひんやりして貰い、その腕がない噺家はウケないことで客席をひんやりとさせます。クールビズやエコライフの象徴でしょ?それがらみの仕事が来ないかなあ。

 さて話は変わりますが、会社が浴衣デー、アロハデー、Tシャツデーなどなどクールビズで色々な服装を楽しむのもいいでしょう。太った部長でも浴衣を着ると粋な旦那に見えてきたり、アロハを着てウクレレを持ってたら高木ブーみたいでかわいいと女子社員から人気が出るかもしれません。女子社員だって浴衣デーがきっかけで男性社員の視線を集めやすくなり、婚活に力が入るでしょう。狙った男を逃さないための決め台詞は「今日計画停電だから家に帰りたくないなぁ」です。

 原稿を書きながらだんだん夏が待ち遠しく感じてきました。クーラーがなく、薄着になった結果、気分は開放的で毎日南の島気分で過ごすヒートアイランド。ヒートアイランドって書くとリゾートっぽいから不思議です。意味は灼熱地獄のはずですが。
落語家とルーチン」
「月刊美楽6月号」より

4月からFMのレギュラー番組に出ることになり、噺家になってからの15年の生活が一気に変わりました。番組が月曜から木曜のため一週間の7日のうち4日は同じ場所の同じ時間に行き仕事をしてることになります。これは一年で約200日同じ場所ということになります。前座で寄席に通っている時でも10日ごとに場所が変わり、昼席夜席の違いで生活サイクルが変わっていたのが16年目にしての初体験。

 ルーチンという言葉があり意味は二通りで使ってますね。アスリートなどが使う平常心を保つための儀式的な作業としてのルーチンと決まりきった退屈な仕事という意味のルーチンと。ルーティンが正しいのかと思ったら、ルーチンでも差し支えがないようなのでルーチンで進めていきたいと思います。なぜなら小さい「ィ」を打つときの「X」と「I」のキーを打つ作業を削減するためです。このご時世ですので省エネでいきたいと思います。

 さて落語家は儀式的な作業としてのルーチンは行います。手ぬぐいに扇子で人の字を三回書いて飲み込むというのはまさにルーチンです。このやり方も人の字を書いて一回ずつ飲み込むパターンと三回書いてから一回で飲み込むパターンがあるようです。ちなみに私両方ともやりませんが。たまに大きな舞台のときに試しで落ち着くのかと思いやってみましたが、人の字を何度も飲み込みすぎてお腹一杯になり高座でゲップが出そうになりました。慣れないことをしてはいけません。

 一方の決まりきった退屈な作業というルーチンには落語家はなかなか会いません。同じ場所で同じお客さんに定期的にやる仕事のときはネタを変えますし、公民館で60歳以上のお客様50人ぐらいという仕事を私は昨年7件やりましたが、公民館の場所によって聴き手の落語理解度が変わるので、やはり必然的にネタ選びや噺の間は毎回変わりました。

 今回のラジオの仕事がルーチン(退屈な方)にならないよう常に新鮮に変化を求めながら続けていかなければと肝に銘じてます。

 ただし放送が5時に終わってから「反省会」と称して作家やディレクターと呑みに行くというルーチン(儀式的?)な方は放送開始以来3週間欠かさず続けてますよ。

「地震のあとの自信」
「月刊美楽5月号」より

 先の見えない不安を芸人はいつも抱えてます。いや抱えてましたと言うべきです。仕事がなければ将来に不安を抱え、多少仕事が増えると芸に不安を抱え、仕事や芸に自信が出てきても健康に不安を抱え・・・。今となっては何と小さな不安。

 今回の震災後、鬱々とした毎日の中で考えた私にできること。さいたま市に住んでる落語家の私ということで、先日さいたまスーパーアリーナに避難してきた福島県双葉町をはじめとした原発周辺住民の皆さんに落語会を催しました。避難から一週間ほど経った避難所の状況を見に行き、被災者の方たちに話を聞いたところ、物資も人手も足りてるがテレビや飲酒などの娯楽はないとのこと。物資や人手が足りない避難所にいる家を流されたり家族を亡くした被災者と比べれば恵まれてるのかもしれませんが、家があるのに帰れない、何時まで続くかわからない見知らぬ土地での見知らぬ人と隣り合わせのプライバシーのない避難所生活はやはり非日常の日々。そんなストレスや不安を一時でも忘れて楽しんで貰うために企画したおもてなし落語会。スーパーアリーナから徒歩3分の場所にあるビアホールで、私が2日間直接声をかけて宣伝し集まってくださった43人の被災者の皆さんに落語とお酒を楽しんで頂きました。

 「被災者の方を探して声をかけてたんですけど身なりを見て声をかけたら『ボランティアです』ってムッとされました」不謹慎なネタかもしれませんが避難所あるあるネタは、避難所にいる人間同士の共有できる笑いです。笑ってもらえたのは私が避難所の中を少しでも知っている奴だと皆さんが認めてくれたからでしょう。初めて落語を見る方も多い中大いに盛り上がりました。

 会場の皆さんがこれからの衣食住、仕事や生活に先の見えない不安を抱えながらも笑い、楽しみ、呑み語らう姿を見ると陳腐な言い方かもしれませんが「元気をもらう」ってこういうことなのかと思いました。今までボランティア活動のあと「逆に元気を頂きました」なんて答えてる人を疑って見てた私でしたが。そして震災後仕事のキャンセルが相次いでも不安を抱えない精神力も身に付けられました。 

「落語家の選び方」
「月刊美楽4月号」より

 落語をあまり見たことのない人の質問で「誰を見れば面白いの?」というのがあります。ラーメンにあまり興味のない人がラーメン好きに「どこのラーメン屋が美味しいの?」と聞くのに似てます。そのラーメン好きは聞き返すでしょう。「あなたはどんなラーメンを美味しいと思うの?」と。味の好みは千差万別で自分が美味しいと思っても他人がどう思うかはわかりません。そして落語の好みも千差万別でおすすめの仕方は難しいのです。面白いといっても色々あります。漫談的に笑わせる、ギャグで笑わせる、間で笑わせる、表情で笑わせる。笑わせるだけではありません。現代感覚があって面白い、江戸情緒が味わい深くて面白い、同年代、または全く違う世代の感覚として面白いなどなど。

 つまり結論は「自分で探しなさい」ということです。個人の好みが細分化されてる割には、他人の情報に頼って自分の好みよりも他人の評価を信用する傾向がみられます。しかし自分が美味しいと思うラーメン屋を見つけるのには情報だけではなく自分の舌も鍛えていかなくてはなりません。何十軒、何百軒も食べて自分の好みを徐々に確立した中で「ここのラーメン屋は美味しい」に行き着くのです。与えられた情報だけで美味しいと評判のラーメン屋に行き「ここのラーメンは東京で三本の指に入る!ラーメン食べるのは2回目ですけど」的な人間がちょっと多い気がします。

 落語も色々な落語家を見ながら段々自分の好みを見つけ、たまに好みに合わない落語家を見てしまっても、その過程をも楽しむのが落語の面白いところです。上手、下手、明るい、暗い、古典、新作と色々な落語家を見ていくと意外と「下手で暗い新作」が面白かったりすることがありますから。

ただ忙しい中でたまにしか行かない落語で失敗したくないというのも理解できます。そんな方はパソコンで他人が評価する評判を調べてから見に行きましょう。
噺家のおかみさん
「月刊美楽3月号」より

 最近のニュースで林家三平師匠が婚約というのがありました。落語界が大きなニュースとして扱われるのは名人の訃報が多い中で大変おめでたいニュースです。特に相手が芸能人だったというのはインパクト大です。噺家が芸能人と結婚といえば春風亭小朝師匠と泰葉さん以来かもしれません。結果はさておき・・・。

 噺家のおかみさんになるのはとても大変なイメージがあるかもしれませんが、それは大勢の弟子がいてその子たちの面倒をみたり、ご贔屓のお客様へ気を使ってみたいな事を想像するからかもしません。なぜなら世間が知ることができる噺家のおかみさんというのは「世間が知っている噺家」のおかみさんだからです。つまり名前が売れてて大勢の弟子とご贔屓衆がいる噺家を旦那にもつおかみさんに取材がきてインタビューに答えるのを見ると大変そうだという事です。そりゃそうです。大変なんですから。

 さてこれから書くのはそうした世間が知り得る成功した噺家のおかみさんではなく世間が知らない噺家のおかみさんの実情です。

 まず噺家と結婚を決める時点で相当肝は据わってます。我々が噺家に入門するときには生涯貧乏や野垂れ死にすら覚悟を決めて入ってますが、それは自分の人生ですから納得はいきます。サラリーマンの妻と比べると噺家の妻は結婚の成功と失敗の差が天と地ほどある中であえて噺家と結婚するのはすごい度胸です。歌舞伎や相撲のおかみさんの労力は売れてる噺家のおかみさんでも比較にならないほど大変でしょうが、あちらは経済力がかなり保証されての結婚に対して噺家は一緒に貧乏からスタートしてます。

 夫の支え方は2パターンあります。仕事をして金銭で旦那を支えるか、手間隙かけて夫を稼げるようにするかです。後者の例をとると会の告知と年賀状で年間5000枚宛名を書いたおかみさんがいるそうです。どちらも芸人と結婚しなければしなくて済んだ苦労です。

そんな苦労を苦労と思わずに夫の才能を信じ、応援協力し続ける妻に感謝しながら、いつの日か楽をさせてやるために頑張るのが夫であり噺家の務めです。

 ただ頑張って売れて「世間が知ってる噺家」になると大勢の弟子が来てご贔屓が増えるので噺家のおかみさんが楽できる時は一生来ないんですけどね。
「なぞかけのすすめ」
「月刊美楽2月号」より


「整いました!」昨年流行語大賞にもノミネートされた言葉です。つまり昨年はいわゆる「なぞかけ」が世間に広く知られたということです。我々落語家も実はちょくちょくやってます。やる場所で多いのは宴席ですが、それはお酒を呑んでるお客さんは大体落語をやっても聞いてくださらないので、お題を頂きながらというコミュニケーションと解けないかも知れないというドキドキ感でお客さんの興味を引く作戦に出るときになぞかけをやります。

 ちなみになぞかけのやり方のコツは「AとかけてBととく、そのこころはCでしょう」とやる場合、Aの属性からCを先に考えそのCの同音異義語の属性をBに当てはめるということです。例を出すと、宴会場でカラオケの機械が置いてあるのをみて「カラオケ!」とお題が出るとカラオケ(A)の属性を考えます。マイク、伴奏、演歌、オンチ、などを出していきながら、こぶしが出てきたらしめたものです。こぶし=拳でCが完成です。拳(C)の属性を考え「カラオケとかけてボクシングととく、そのこころはどちらもこぶし(拳)で勝負します」となります。

 つまりなぞかけの勝負どころはCで同音異義語を作るところです。ボクシングというお題だと、まずグローブが思い浮かびますが「ボクシングとかけて野球ととく、そのこころはどちらもグローブをしてます」では何にもなりません。同音異義語じゃありませんから。グローブから小室哲也とKEIKOのgloveを考えますが、客層がそれを知らなかったりすぐ思い浮かばないとポカーンとなるので切り捨てます。ゴング・・、減量・・減量?原料?原料で苦労?今高かったり手に入りづらい食材は?リング・・リング?指輪のリング?リングで勝負?おっ!?「ボクシングとかけて宝石商とときます、そのこころはどちらもリングで仕事します」なんてことを10秒ぐらいでできるか、30秒かかるか1分かかるか最後までできないかということなんです、なぞかけとは。

 目についたもので何時でも何処でも一人でもできるので、よかったらやってみてください。脳が活性化してやればやるほど上手くなりますよ。

「噺家の正月」
「月刊美楽1月号」より
1月号ということなので噺家の正月の過ごし方について書きたいと思います。 一月一日の元旦は毎年朝9時に師匠円歌の麹町の自宅に一門全員が集合します。直弟子14名と孫弟子8名が一同集まりますが、二つ目以上は全員自宅から黒紋付着用でぞろぞろ集まってくるため、さながらマックカフェの歌舞伎役者のCMのような光景が繰り広げられます。但しCM的にこやかな笑顔ではなく、眠そうだったり年越し仕事で疲れ果てた顔が混じってるところが噺家らしいところです。

 全員が揃ったところで師匠からお年玉を頂きます。前座が貰ってる姿はおじいさんが孫にあげているようでなにか微笑ましいものですが、いい年をした真打ち達が年老いた師匠から貰ってる姿はニートや給付金を想像させこれまた微笑ましいものです。

 その後師匠から一言、訓示のようなものがあります。のようなものというのはそれほど会社の社長がいうような気合の入った訓示ではなく、「体に気をつけて頑張りなさい」ぐらいの一言で終わってしまうからです。ある年「まあ勝手に頑張りなさい」と言ったときは弟子一同どうリアクションしていいか困った年がありましたが。

 いよいよ乾杯です。これは年男が行う場合が多いのですが、たまに師匠から昨年飛躍した弟子が指名されることがあり、まるでMVP受賞のような栄誉といえます。但し師匠の独断と偏見で選ばれるため、「結婚した」「家を建てた」「子供が生まれた」など芸人の活躍とは関係ない要素もMVPの対象となります。

 乾杯のあとはすぐ中締めです。ここで自由解散となり仕事に行く者は仕事へ、呑み続ける者は呑み続けることになります。大体若手はヒマですので昼頃まで居座って呑んでます。

師匠のおかみさんが小料理屋のおかみさんのように愛想がいいのも昼12時までであとはいつものおかみさんに戻ります。やさぐれシンデレラみたいです。

というわけで一門全員が揃うのは一年でこの正月の最初の15分ぐらいのものです。しかし正月というハレの日を大事にし、一門一同が会しこれから始まる一年に決意を新たにするこの時間はいつまでも続けたい伝統です。

「親の背中」
「月刊美楽12月号」より

 「子は親の背中を見て育つ」という言葉がありますが、我々芸人はまさに親である師匠の背中を見ながら育っていきます。なぜ背中を見てるかというと、親である師匠は弟子である子どもをそんなに向かいあってくれないからです。そういうと何か薄情に聞こえるかもしれませんがそうではありません。愛情も目配りも指導もありますが、過剰ではなく程がいいのです。子どもが道に迷ったり、困ってるときに師匠は必ずてを差し伸べてくれます。ただし最初から道案内やアドバイスはありません。
 うちの師匠がよく言う「頼んで弟子になってもらったわけじゃない」という言葉は我々芸人の師弟関係を見事に表してます。スカウトをした訳でもなく、弟子にしても一円も儲からず、ただ自分を頼ってきたものの面倒をみるというのがわれわれの業界の師弟関係です。弟子に何の期待もしてませんし、売れなくたってがっかりもしません。
 うちには5歳の娘と3歳の息子がいますが、私自身が子育てには興味があるため色々な方に子育て論を聞いてた時期がありましたが、ある進学塾の先生に「できる子の共通点は?」と聞いたところ「集中力と目的意識」とおっしゃってました。「集中力は親がかまい過ぎないほうが養われ、目的意識は押し付けではなく自分で考えないと出てこない」そうです。その後「できない子の共通点は?」と聞いたところ、「できないという言い方したくないけど・・・」といいながら「無気力な子どもの共通点は親が一生懸命過ぎる事」だそうです。どんなに子供が頑張っても「言うとおりにしてたらこうやって上手くいくんだ」と親に言われて、成功体験からやる気になるはずの部分が育たないそうです。
 期待をして手をかけて面倒をみて失敗しないように手取り足取り教えることは親の満足はあっても決して子供のためにならないのでしょう。選んで入った師匠と選べずに生まれた親を同列に扱うのは多少無理がありますが、うちの師匠のように背中を見せながらたまに振り返るぐらいの媚びずに自信に溢れた背中を子供に見せていきたいものです。


「落語家の稽古」
「月刊美楽9月号」より

 落語家にとって噺の稽古とは仕事です。仕事というと大勢のお客様の前で噺を披露してギャラを貰うほうを想像しますが、業界内の言葉に「稽古が仕事で高座は集金」というのがあります。華々しく見える高座も常日頃の稽古をお金に換金してるに過ぎないのかもしれません。まあ換金、集金できない状況にある芸人が私も含めて大勢いる現状もありますが。
 それでは我々芸人にとっての仕事である稽古とはどういったものか。「噺を覚える」というのは初歩中の初歩です。私が仕事先で言われるほめ言葉「面白い」「上手い」の中に、たまに「あんな長い噺をよく覚えられましたね」というのがあります。・・・がっかりします。もちろん覚えるためにノートに書き写したり何度も声に出して練習はします。
 ただこれは「練習」であって「稽古」とは少し違います。稽古の「稽」と言う字は「考える」という意味だそうです。つまり稽古とは、ただ闇雲に口慣らしをすることではなく、昔から続いてる噺の持ってる面白さを考える、過去の演者の演じ方を考える、そしてそこから噺に対して自分なりの新しいものを作り出していかなければ稽古とは言えないのです。
もし昔からの噺をそのまま覚えて次の世代につなげていくだけだったとしたら、落語は現代に残っていなかったはずです。
 落語は常に進化しています。笑いが進化し、映像技術が進化していく中で落語もその進化に慣れたお客と戦っています。とはいっても座布団の上に座り、扇子と手ぬぐいを小道具に言葉だけで想像させて笑わせるという行為は昔から変わっていません。その伝統の中で噺のスピード感、演出、共感のポイント、映像を想像しやすい言い回しなどを時代と共に変えていき古典芸能ではなく大衆芸能として伝統芸能である落語を残してきたのはその時代の落語家達が「稽古」した成果です。
 落語家にとって稽古とは伝統を守りながら噺が古くならずに後世に残していくための仕事でもあるのです。


「西表島に行ってきました」
信州民報「楽天余話」より
いやあ〜本当にお久しぶりです。

 さて、私きん歌は最近、沖縄県八重山諸島の西表島に行ってきました。西表(いりおもて)と言えばやっぱりイリオモテヤマネコですよね。沢山見ました・・・看板は。「イリオモテヤマネコ横断注意!」「イリオモテヤマネコ飛び出し注意!」「イリオモテヤマネコ多発地帯」ってどれだけ出るんだというぐらい看板がありました。もちろん本物は2泊3日ぐらいじゃ見られるわけありません。知り合いの7年住んでる人が3回見たことがあるそうで、それが大体平均的だそうです。広い島の中で100匹ぐらいしかいないんですから、イリオモテヤマネコ同士も中々会えないでしょうね。「うわっヤマネコ!鏡以外で初めて見た!」みたいになるかも。


 豊かな自然たっぷりの西表島は、海もマングローブ林も山も本当に素晴らしく是非これを読んでる皆さんにも一度は行って欲しいんです。ただ今回の旅行で思ったのは豊かな自然を沢山の人が見に行くと、皮肉にも豊かな自然は無くなっていくんだなあということです。私が泊まったリゾートホテルが建ったところは元は海亀の産卵場所の浜辺だったそうですし、港から移動する道路の脇には、枯れたマングローブ林の跡がありました。そしてその道路上で数少ないヤマネコが車に轢かれ、建築工事場所からきれいな海に赤土が流れてました。
開発をしたほうがお金が動いて人々が経済的に潤うんですから、部外者が感情的に軽率な発言はしないほうがいいんでしょうが、開発の何分の一でも環境を守ることにもっとお金を使ってもいいんじゃないかと思います。

まあ道路を作りたがるあの人達が自分たちの取り分を減らしてまで環境のための予算を組むわけないんでしょうけど。

「ドキドキしていますか?」
信州民報「楽天余話」より
「ドキドキしてますか?」

春です。心がウキウキする季節です。ウキウキはしてますがドキドキはあまりしなくなりました。


よく「年をとると一年が早い」といいますがそれにはちゃんと理由があって、段々経験が増せば増すほど、初めて知る、初めて体験することが減っていき、それが毎日を単調にしていき一年が早く感じるそうです。子供は毎日色々な知識、経験に触れるため一日、一ヶ月を大人より長く感じてるはずです。子供が歌で「もうい〜くつ寝〜るとお正月〜」と待ち遠しく年末を過ごしてるのはそのせいです。


 私も仕事柄変化は多いほうですが、この世界に入った頃と比べると毎日が短く感じているかもしれません。前座の頃はよくも悪くもドキドキしてました。師匠に怒られないように、先輩に怒られないように、高座がうけるかな、お小遣い貰えるかなと様々なドキドキを経験してました。


 象とねずみの生涯の心拍数が同じ15億回だそうです。ただ象の寿命とねずみの寿命はかなり違います。象が70年ぐらいでねずみが3、4年です。ただねずみは象の20倍ドキドキして生きてるので平等ではあります。時間感覚が違うと言ったほうが適切かもしれません。
私はこの象とねずみの話を聞いた時、たとえ長生きできなくても密度の濃い、ドキドキする人生を送ろうと心に誓いました。しかしながら残念なことに私は睡眠時間が人一倍多いのです。一日12時間寝てみたりしてます。この調子じゃ120歳ぐらいまで生きないと他の人の人生密度に追いつかないんじゃないかと心配になります。


皆さんは毎日ドキドキしてますか?

「人事尽くして」
信州民報「楽天余話」より

 皆様、ご無沙汰してました。今日は落語家が暇な時何をしているかを、私を例にお教えします。


よく落語の稽古は一日何時間?と聞かれることがありますが、わたしはほとんど決まった時間を稽古をする習慣がありません。やらなきゃいけなくなってからあわててやるのが私のスタイルです。そんなに私のスタイルと言うほどかっこいいものではありませんが。意識していることは、とにかく家に居ないようにするということです。映画を見に行く、違う仕事の人と呑みに行く、スポーツ観戦、漫画喫茶、うまい人の落語を見に行く等、常に行動することで何か面白い事を発見できるかもしれませんし、またできないかもしれません。できなくても自分が楽しいので損はありません。


周りから見るとなんて気楽な商売だと思うかもしれませんが、そのとおりです。
ただこれを気楽だと思える人間じゃないと落語家はつとまりません。仕事が無いときはホントに焦ります。このまま一生仕事がないんじゃないかとまでは思わなくても、同業者の活躍に焦り、世間に必要とされてないんじゃないかと焦り、家賃の催促に焦るものです。ただ焦ってもしょうがない商売です。人事尽くして天命を待つの言葉どおり、いつ仕事の依頼が来てもベストな高座ができるようにしておくことしかできない商売なんです。


ここ最近は仕事が少なめのせいか、家に居ないようにするのも飽きてきて家で稽古しちゃったりしています。人事尽くしてる私きん歌に誰か天命(仕事)をください。
待ってます。


「脱駄文宣言」
信州民報「楽天余話」より
 長い間書いていなかった気がしてます。こういうコラムというかエッセイというか作文というか連載にしては期限のない原稿を書いてる私から見て、週刊誌に連載している有名人の方々は本当にすごいなあと改めて感心してしまいます。

 ここ半年ほど前から「週刊文春」を読むようになりました。毎週発売日に欠かさず読むほどのヘビーな読者ではありませんが、毎週読んでる「週刊SPA」に次ぐ第二候補の座にあります。週刊文春って電車で読んでてもあまり周りを気にしなくていいので楽です。「アサヒ芸能」や「週刊実話」も嫌いじゃありませんがヌードやなんかがあると周りの目が気になります。特に電車の中で袋とじを開くわけにもいかず、そうかといって持って帰るのも邪魔なので、袋とじの中を見ないまま捨ててしまうと、非常にストレスを感じます。また周りの人から「低俗な雑誌を読む下世話な奴」と思われてそうで、できることなら買う時ブックカバーを付けて欲しいぐらいです。周りの電車の乗客がどれだけ私を見てるかは別にして、その点週刊文春なら安心です。
とにかくその週刊文春には色んな有名人が連載してて、みんな多忙の中、毎週面白いことをちゃんと字数制限どおりに書いてきちんと締め切りまでに出してるにもかかわらず、私のようなヒマなものがこんなにサボってたことを反省しているんです。多忙な有名人達は毎日変化に富んだ生活をしているから文章も書きやすいのだろうと思うとそうでもなく、意外とみんな日常の中からの体験で、しかも普通の事を文章力で面白く書いてるんです。

 私がその文章力を身につけたら文春とはいかないまでも、この信州民報を読んでる同業他社が好条件で引き抜きにくるはずですなので、それまではここで私の駄文にお付き合いください。

「新しい趣味」
信州民報「楽天余話」より
 環境問題に対して意識の高い私は、ゴルフ場のせいで環境が悪化することを知っています。山を切り崩し芝を植え込む事で山の貯水は弱まり、動物たちは行き場を失い、使われる農薬は水質を汚染します。でも、いいじゃん。だってゴルフ面白いんだもん。

 私ゴルフを始めました。


 先日始めてコースを回ってきましたが、あんなに楽しいとは思いませんでした。そりゃおじさん達がみんなやるのもわかるね。126で回りました。空振りは数えないとか10打超えても10打までみたいなゆるいルールでしたが、それでも何かうまくなりそうな気がしてます。お金がかかるイメージも最近はあまりないようで、特に私のような自由業は平日遊ぶ事が多いのでより安く遊べそうです。道具もスパイクやグローブは自分で買いましたが、アイアンセットは二木ゴルフでおなじみ正蔵師匠の弟いっ平さんに貰ったもの。ドライバーも仕事先のお寺の住職に貰ったもの。初期投資は2万円かかってません。


しかしただ遊ぶだけではありません。この遊びで始めたゴルフを仕事まで持ってかないといけません。ゴルフコンペに呼ばれて、コースを回り終わったら表彰式の司会でもやって、ギャラ貰って帰れるようになれば私の目標達成です。・・・書きながらあまりにも小さい目標に自分自身がっかりしてますが。


とにかくいつ呼ばれてもいいように、ゴルフとなぞかけの練習はおこたらないようにしておきます。「ドライバーショット」とかけて「大学の体育会」ととく、そのこころは「どちらもOBが怖い」でしょう。よし!この調子。「OB」とかけて「なりたての坊主」ととく、そのこころは「逸れたら(剃れたら)もう一球(一休)」。うーん、まだまだ。ショートホールとかけて・・・・。

 某年1月「みなさんあけましておめでとうございます」
信州民報「楽天余話」より
みなさんあけましておめでとうございます。もうおめでとうという時期でもありませんが・・・・。

さて今回は噺家の元日の過ごし方です。我が三遊亭円歌一門を例に出して説明していきます。


まず朝九時に師匠のお宅に集合し、師匠の年頭のお言葉が一門の弟子たちにあります。今年は「体に気をつけて頑張れ」でした。なに?当たり前すぎる?その当たり前のことが芸人にとっては一番大事なことなんです。


そのあと弟子一人一人にお年玉が渡されます。弟子の最年長は60歳ですがもちろん貰います。師匠にとっては何歳になっても弟子は子供のようなものなんです。


そのあと乾杯が総領弟子の発声で行われ、すぐ中締めが入ります。これは「みんな寄席の出演などで忙しいのでここからは自由参加ですよ」という合図みたいなものです。この中締めの音頭をとるのは、師匠の指名で昨年一番頑張った弟子がやります。これは大変名誉なことですが、選考基準は師匠の独断と偏見のみなので選ばれるのは難しいことです。


そのあとは普通の宴会ですが、合間に他の一門の方々がご挨拶に来て飲んでいったりします。師匠のうちの料理は超一流の料亭のおせち料理やいい食材を使った雑煮やおでんなどが振舞われます。


昼ごろには師匠も寄席に行くためほぼ解散ですが、我々二つ目は師匠と共に寄席に行き、前座やお囃子の皆さんにお年玉を渡しに行きます。ちなみに今年は43人いました。


とはいえ今年は年末カウントダウンのテレビ番組をテレビ埼玉でやらして貰い、その後朝六時まで打ち上げで泥酔。家で寒い中シャワーを浴びて30分仮眠をとって師匠の家に。昼前にヘロヘロで、早退気味に帰宅してしまいました。


一年の計は元旦にありといいますが、そのとおりのようで21日まで毎日深酒が続いてます。


6月30日「昔話」
信州民報「楽天余話」より

 
最近気になってることがあります。それは昔話が我々の頃(25・6年前)と今とで変わってきていることです。

 先日何気なく国営放送を見ていると「かさ地蔵」をやってました。笠を編んで街に売りに行くまでは同じでしたが、売ってる最中に雪が降り始め、街の人たちは我先にと買いに来ます。ところがおじいさんはそこで、途中の道端で見たお地蔵さんを思い出しその笠を売らずに帰り、お地蔵さんにかぶせてあげます。お地蔵さんは6体、笠は5つ。そこでおじいさんは自分の笠をとって6番目のお地蔵さんにかぶせてあげ、夜にお地蔵さんが恩返しに来てめでたしめでたし、となってました。

 私の知っていた「かさ地蔵」は売れ残ったかさをお地蔵さんにかぶせて、足りない分はおじいさんの・・だったはずです。「売れ残りで恩返ししてもらうなんてけしからん!」という抗議でもあったのでしょうか?でもせっかく買いに来てるお客さん(しかも急な雪に困ってる)をほっといてお地蔵さんに持ってって、お地蔵さんは喜んでいるのでしょうか。おばあさんだって恩返しして貰えたから豪華な年越しができましたが、それより普通に売って普通の年越しの方が安心できたはずです。

 この話の良い所は、笠が売れ残って絶望的な状況でも自分の笠さえあげてしまうやさしさに、お地蔵さんが心打たれて恩返しする所だと思ってます。売れるのに売らないってどうなの?本当に貧乏なの?おじいさんは本当はギャンブル好きで一か八かにかけたの?非常に謎が残ります。

 桃太郎も最後に「金銀サンゴ財宝を山のように持って帰りおじいさんおばあさんをよろこばせた」りはしないで「金銀サンゴ財宝を山のように持って帰り、盗られた家を一軒一軒回って返してあげる」そうです。「盗られた宝を独り占めするとはけしからん!」って抗議があったのでしょうか?でもそんな律儀に一軒一軒回らなくてもいいんじゃない?桃太郎もお疲れでしょうに。半年たって持ち主の判らなかったものはおじいさんおばあさんにあげてもいい?

 もう20年ぐらいすると「地蔵が歩くのはおかしい」とか「桃の中に子供を閉じ込められてるのは児童虐待だ」なんて意見に合わせてもっと話が変わってるかもしれません。

 
5月27日「クジラを食べよう」
長野県上田市「信州民報」楽天余話2005年12月掲載より


「みんなクジラを食べよう!」といきなり動物愛護団体に睨まれそうなことを書いてみます。クジラは賢いから食べてはいけない、絶滅しそうだから捕ってはいけないと言われてますが、私は敢えてもう一度言います。「どんどんクジラを食べよう、いやイルカやシャチも食べてみよう。」

 なぜかというと海の資源というのは限られており、食物連鎖の頂点にいる彼ら(彼女ら?)を過剰に保護することで生態系が崩れてきているんじゃないかと心配しているからです。シャチが一日に食べる魚は100キロです。しかもマグロ漁船がはえ縄漁を行ってると、シャチは頭がいいのでその後を付いて来て針にかかったマグロを群れで片っ端から食べてくそうです。回転寿司で金色のお皿の大トロに手が出せない私には許せません。

 まあシャチやイルカは捕らないにしてもクジラが大量のプランクトンを摂取することでほかの魚が減ってるのは絶対にあるはずです。今年はサンマが豊漁だったそうで私も随分食べましたが、イワシが突然捕れなくなって鯛より高くなったときがあったように、いつかサンマも一匹1000円ぐらいになるかもしれません。

 残すところが全く無いクジラを食文化として適度な量を捕ることは、決して自然破壊も種の絶滅も招きません。さてなんでこんな事を書いてるかというと、ここからが本題です。

 「サメを捕るな!」です。

 サメはイメージが凶暴で厄介者ですが、実際には全世界で人間を襲った事故は年間で平均28件、死亡例はその3分の1の9件ほどです。そのサメたちはフカヒレ目当てに乱獲され絶滅の危機にさらされてます。しかもサメはイルカやシャチと比べておバカちゃんなのですぐ捕まっちゃいます。そしてヒレだけ切り取ってあとは海に棄ててるそうです。これではサメも成仏できません。

 というわけでフカヒレを食べる機会の全くない私ですが、これからも「サメの保護」という名目でフカヒレを食べられないことを正当化するのです。


3月14日 「落語in柳町に行こう!」


今、私は8月5日に行なう東京の内幸町ホールでの独演会の準備で大変です。現在私が東京近辺で定期的に行なっている独演会(勉強会)は年4回の内幸町ホールの他に、年2回の浦和、そして先月より始めた毎月新橋のライブハウスでの会でこれらの名称はすべて「タロ人会」です。なぜ「タロ人会」かというと、通常「名人会」と付く落語会は多いのですが、「名人」と自分でいうのはかなり恥ずかしいので「名」を inserted by FC2 system